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高松高等裁判所 昭和36年(う)136号 判決

控訴人 被告人 坂本隆一

弁護人 岡林靖 外一名

検察官 粂進

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、記録に綴つてある弁護人岡林靖及び同武田博作成名義の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

弁護人岡林靖の控訴趣意第一点について。

所論は、原判決には理由不備の違法があると主張し、殊に他人の物の占有者がその物の返還債務の履行期到来以前に本人に対しその物が存在しない旨不実の告知をしても、履行期到来後意思を飜して本人に占有物を返還することがあり得るから、履行期到来前の不正領得の意思の発現は未だ不正領得の結果の発現を伴わないのであり、したがつて、右意思の発現をとらえて犯罪の実行には着手したとは言えても未遂の段階に過ぎないことは明らかであるに拘らず、原判決はその判示セメントの返還債務の履行期の到来の有無につき判示を欠いでいるから業務上横領罪の既遂の判示としては理由不備であるというのである。

よつて、按ずるに、横領罪は他人の物の占有者がその物を不正に領得することにより成立するのであつて、不正領得の意思がその犯意であり、不正領得の実現がその犯罪行為であることは所論のとおりである。そして、およそ、業務上横領罪の成立に必要な横領行為があつたというためには、業務上占有する他人の物を自己の物として不正に領得する意思があると認められる外部行為を実行しただけで足り、必ずしもその目的物に対し消費、交換もしくは贈与等の処分行為をなすことを必要としないと解すべきであり(明治四三年一二月二日大審院判決参照)、したがつて、業務上横領罪の罪となるべき事実として判示すべき事実も右要件を充足すれば十分であるというべきである。さて、原判決が罪となるべき事実として説示しているところによると、被告人が、業務上占有中の愛媛県所有のセメント二九一袋を不正に領得する意思をもつて同県の出先機関である宇和島土木事務所の職員に対し、右セメントが北宇和郡広見町大字東仲所在の実行組合倉庫等に保管されているに拘らず残存していない旨申向け、爾後所有者たる愛媛県のためではなく自己のために占有を継続した趣旨の判示をしていることが窺われるのである。なる程、原判示会社の愛媛県に対する本件セメントの返還債務の履行期が原判示の犯行当時到来していなかつたことは後記説示のとおりであるけれども、前示のように被告人が不正領得の意思をもつて宇和島土木事務所職員に対し不実の告知をしたことにより、被告人は爾後愛媛県のために占有を継続するのではなく自己のために占有を継続するものであることが外部から客観的に看取できるのであつて、右所為はとりもなおさず不正領得の意思の発現行為すなわち横領行為そのものであるというべく、したがつて、所論の不正領得の結果は既に発生したことに帰し後日履行期到来後飜意して占有物を返還するのは被害の弁償に外ならないから、原判決が所論の履行期の到来の有無を判示することは毫も必要のないことである。これを要するに、原判決が前示の趣旨の判示をしている以上、業務上横領罪の事実摘示として何等欠ぐるところはない。論旨は理由がない。

弁護人岡林靖及び同武田博の事実誤認の各控訴趣意について。

所論に鑑み、記録を精査して検討するに、原判決挙示の各証拠を綜合すると、原判示事実は優に認められ何等の事実誤認の廉もない。なる程、記録によると、原判示の愛媛建設株式会社は愛媛県から原判示の砂防工事を請負つたのであるが、その工事に使用するセメントは同県から現物で支給され、もし工事竣工の際セメント等の支給材料に余剰が生じたときは工事竣工後同会社から同県に返還すべき旨定められており、原判示の昭和三五年一一月二四日当時においては右工事は殆んど完成には近かつたが未だ竣工はしておらず、したがつて同会社の同県に対する余剰セメントの返還債務の履行期の到来していなかつたこと及び本件不正行為が発覚したため原判示のセメント二九一袋を本件工事の手直しに使用しもつてこれを愛媛県に返還したことが認められるのは所論のとおりである。しかし、本件業務上横領罪は前記説示のように被告人が宇和島土木事務所職員に対し不正領得の意思をもつて虚偽の申述をしたことによつてその時既遂に達したのであつて、右セメント返還債務の履行期の到来したかどうかということ及び犯行後右セメントが被害者である愛媛県に返還されたかどうかということは本件犯罪の成否に何等消長を及ぼさないというべきであり、原判示の「抑留」の用語を必ずしも返還債務の履行期が到来しているのに拘らずその返還を拒絶した趣旨であると解しなければならぬ理由はない。論旨は採用できない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三野盛一 裁判官 木原繁季 裁判官 伊東正七郎)

弁護人岡林靖の控訴趣意

第一原判決には理由不備(刑訴法第三七八条第四号)の違法がある。

(一) 原判決の認定した本件事実の要旨は、被告人は愛媛建設株式会社の代表取締役として愛媛県から砂防工事を請負い、同県所有の工事用セメント二、四九八袋を同県から現物支給を受けこれを預り該工事に使用していたものであるが、内二九一袋が残存していたに拘らず、昭和三五年一一月二四日同県宇和島土木事務所職員に対し、残存はないと告げて、恣に所有者たる同県を排除して自己のためその占有を継続し以てこれを抑留横領した。というのである。

(二) 横領罪は他人の物の占有者がその物を不正に領得することにより成立する。不正領得の意思がその犯意であり、不正領得の実現がその犯罪行為である。そして多くの場合不正領得の犯意が発現すれば不正領得の行為が実現する。この罪の普通の態様である着服、拐帯、費消、不正処分等の場合は、不正領得意思の発現は即ち不正領得行為の実現完成である。だが不正領得の意思発現ではまだ不正領得の実現のない場合がある。例えば集金の引渡期を毎月末と定めて他人のために集金の業務に従事する場合、月の中途において集金した金の全部又は一部を不正に領得する意思で特にその金額を記帳から省いた(或は本人から集金状況をきかれ不正領得の意思で集金額につき不実を答えた、又は右意思で金の一部の保管方法や場所を変更した)とすると、不正領得意思は発現したと云えるが、金の占有は継続し約定の月末には意思を飜して集金の全部を本人に引渡したら不正領得の実現は一度もなかつたこととなる。引渡すべき時期は月末でそれ迄の占有は当然だから、月末に引渡せば不正も領得もない訳である。不記帳・虚偽回答・保管方法の変更など不正領得意思の発現と云えるであろうが、約定の期日には約定通り引渡した場合、本人の所有権を損う事実なく本人に何の損害もかけない。履行期以後に右の不正領得意思の発現があり、かつ引渡の不履行があれば、特別の事情がない限り、それは疑もなく不正領得の実現であり横領である。結局横領罪(既遂)の成否の岐れる所は履行期に係ることとなる。原判決は残存しないと偽り恣に所有者を排除し自己のために占有を継続したという文字で、不正領得の意思発現と実行を判示したつもりであろうが、原判決の判文からは右の文字が正当であるか否か、右文字が横領罪の事実記載となるか否か、不分明である。占有物を返還すべき時期にあつたということが前提として明らかにされない限り、不正領得意思の発現は認め得ても、不正領得の事実があつたかどうかは判らない。横領はまだ未遂以前の段階かも判らないのである。そして刑法には横領の未遂を処罰する規定はない。

(三) 横領罪にその性質上未遂があり得ない訳ではない。ドイツ刑法には同罪の未遂を規定しておるそうだし昭和一五年の我が刑法改正仮案にもその規定があつた。横領の未遂はあり得る、だがその処罰規定はないと前提すると、原判決の判示では罪の成否が判らないということになる。

第二原判決には判決に影響を及ぼす事実誤認がある。

本件のセメントは昭和三五年一一月二四日にはまだ返還期が来ていなかつた。証第一号(本件工事請負契約書)の第八条第六項には、愛媛建設株式会社は工事の完成変更若しくは契約解除に際して不用となつた支給材料があるときは直ちに仕様書に定められた場所でこれを愛媛県に返還しなければならない。という約定が記載されておる。これがセメント返還期に関する唯一の約定である。本件の場合工事の変更と契約解除がなかつたことは間違いない。問題となるは工事の完成があつたか否かであるがそれはまだなかつた。この点は干係人の供述調書を見ても積極の証拠がないのみでなく、被告人が検察官に対し「一一月二〇日頃セメント工事は大体終つたが堰堤のまずめにまだ一四・五俵使わねばならぬ位だつた」と供述(昭和三六年一月二三日調書)しておることで明らかである。証第一号の第一四条によると、工事が完成したら会社から書面で県に通知し、県はその通知から一四日内に検査を行い検査に合格したら工事の引渡を受けると約定されておるから、支給材料の返還期である工事の完成というのは大体かかる行事の時期と解して差支えないであろう。なお昭和三五年一一月二四日にはセメント使用工事の大半は終り相当の残余あることが明らかだつたのだから、この日残余の返還を求められたなら、それによつて返還の履行期到来と見て良いであろうが、県はこの頃セメントの返還を求めた訳ではない。この時期において被告人に本件セメント不正領得の意思があつたことその意思発現のあつたことは明らかであるが、まだ返還期が到来していなかつた、抑留即ち占有の継続の権限のある時期のことだから不正領得の実現にはならない。なお返還の履行期前(或は返還を請求されて履行期の到来した際)被告人は本件のセメントを返還しておる。かくして不正に領得しようとしたことが発覚したためで、まことに不面目な次第ではあるが、とにかく返還すべき時期には返還したのだから、横領は未遂に従つて横領罪は成立しないということになるのではなかろうか。返還した日時は昭和三五年一一月二六日頃二二四俵同月末頃六七俵の様である(後者は芙家秋太郎の同年一二月三日付の供述調書に二・三日前返戻とあるによる)。

弁護人武田博の控訴趣意

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかである事実の誤認がある。

原判決によれば、被告人は昭和三十五年十一月二十四日被告人方に於て宇和島土木事務所職員に対し業務上預り保管中の愛媛県所有のセメントの内二百九十一袋(時価合計七万九千円相当)が同町大字東仲、実行組合倉庫等に残存しているに拘らず残存していない旨申し向け恣に所有者たる同県を排除して自己の為その占有を継続し、もつて抑留横領した旨判示されているのであるが右事実の認定に付ては次の点に誤認がある。

一 前記昭和三十五年十一月二十四日、愛媛県宇和島土木事務所職員(野口太郎等)が被告人方を訪れ、被告人と面接した目的は、支給セメントの費消後の空袋を受取りに来たものであつて、残存セメントの返還請求に来たものではないのであり、このことは野口太郎の司法警察員に対する第一、二回供述調書及被告人の司法警察員並検察官に対する供述調書の供述記載に徴し、明らかである。又、本件支給セメントは請負工事完成後に、残存せるものある時、之を注文者愛媛県に返還を要する約定であるから、工事完成前には未だ之を返還を求める権利もなく、又返還すべき義務も生じていないのである。而して本件工事は、前記昭和三十五年十一月二十四日には未だ完成前で請負契約による工事期間の途中であつたこと、証第一号工事請負契約書の記載に因り明らかである。従つて、未だ支給セメントの返還時期の到来しない日時に、単に支給セメントの空袋を受取りに来た土木事務所職員に対し、支給セメンが残存しているのに、残存していないと偽りを告げたことが、いわゆる抑留横領になるとの事実認定は、事実の誤認と言わざるを得ないと信ずる。何故ならば、被告人はその際、支給セメントの返還請求を受けた訳でもなく、又返還請求を受ける日時でも無かつたのであるから、その様な言明をする必要も無かつたのである。

二 一船に抑留横領と言えば、横領行為の内の事実上の処分行為と解釈されて居り、之を横領と認められるが為には、犯人が占有せる他人の物を他人に返還を求められるか又は其の他委託の趣旨に基づく何等かの物そのものに対する指示要求があつた際犯人に於て他人の権利を排除して自己の為に占有を継続する場合を謂うものである。然るに本件に於ては、未だ愛媛県当局から支給セメントそのもの(空袋は暫らく措く)に付て、被告人に対し、返還請求は勿論その他何等の指示要求をして居らないのであるから、此の段階に於て被告人が空袋返却に関連して、支給セメント残存の有無に付き偽りを申し述べたとしても(その点は不都合ではあるが)少くとも、之に付てその時抑留横領が成立するものとは、事実上に於ても又法律上に於ても断じ難いものがあると信ずる。

三 のみならず此の種請負工事に付ては完成後注文者に引渡す前必ず厳重なる竣工検査を実施するものでありその検査の結果、不完全なる個所を発見したる場合はその手直し工事を命じ然る後検査合格を証したる上引渡をするのが常識である。従つて被告人に於て一応工事完成を見てもその竣工検査合格する迄は、如何なる個所の手直し工事を命ぜられるやもわからずその為に支給セメントの残存が確定するのは竣工検査合格判明の時であり、それ迄は残否不明と言うの外はないのである。以上の事実があるにも拘らず原審が之を看過して被告人の前記行為に対し、たやすく抑留横領の成立を認めたのは事実誤認であり原判決は破棄を免れないと信ずる。

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